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【寄稿】フェチはなぜ近くて遠くにあるのか


写真1

近くにあるのに、触れられないもの。見えているのに、手に入らないもの。近くて遠いもの。
夜の月、夏の蜃気楼、美術館の展示物、初恋の人――
古くは清少納言の枕草子(第166段 近うて遠きもの)でも語られるものですが、僕はここにもう一つ、「フェティッシュ」を挙げたいです。

フェチは捉えどころのない”幽霊”なのだろうか

僕は足フェチです。特に女性の素足の足先や足裏に底知れぬ魅力を感じます。そして自分のフェティッシュを具現化するため、写真を撮っています。しかし、撮りはじめてみると、納得できる作品を撮るのはとても難しいということがわかってきます。撮影の技術や機材の制約もあるでしょうが、足フェチだからといってモデルさんの足を撮らせてもらっただけでは、後で写真を見返してもフェティシズムが「宿っていない」と感じることがあります。僕のフェチの対象である女性の足はまさに目の前にあるのに、僕はそれを撮りきることができないのです。

フェティッシュは写真に写らない幽霊のようなものなのでしょうか?それともシャッターを押した瞬間に消えてしまう量子力学的な存在なのでしょうか?

――そんなはずはありません。実際の女性のおみ足を愛おしく思うのと同じように、写真や映像の中の女性の足にも心動かされます。だからフェティッシュは幽霊でも素粒子でもなく、ちゃんと写し取ることができるもののはずです。では何がいけなかったのでしょうか。
僕は、自分がこれまで足フェチを感じた作品はどういったものだったかを考えました。映画やドラマのワンシーンで女優さんが不意に見せる足裏、ファッション誌でポーズをとるモデルさんの脚線美、SNSに上げられた写真にたまたま写り込んだ女性の足先などなど……。
僕が足フェチを感じる作品は、様々なメディアにまたがり古今東西に散らばっています。被写体の属性(顔、年齢、体型、国籍)も写っているおみ足の状態(ライティング、解像度、ピント、色味)もバラバラです。

これらの作品に共通していて、僕の撮った作品に足りないもの……それは「足が主題ではない」ということではないでしょうか。

制作者には足フェチという視点が無いであろう作品に何気なく写っているおみ足を、足フェティシストが全力で注視する。これがフェティッシュな作品の一つの理想型(ただし制作者と鑑賞者には悲しいすれ違いがある)だと考えています。
ただし、これでは困ったことになります。前を見るために後ろを向くような、禅問答的な話になってきます。足フェチの作品を目指した時点で、僕の理想の足フェチの作品は成立不可能となってしまうのでしょうか。
しかし、今のところフェチに対する僕の結論は、禅問答の幽霊ではありません。

写真2

フェチを撮るということ

有名な足フェチ作品に、クエンティン・タランティーノ監督の映画があります。
タランティーノ監督の作品には足フェチ要素がふんだんに盛り込まれていることで有名ですが、彼は足を美しく撮ったから評価されているわけではありません。当然ながら、映画自体が素晴らしいから評価されているんですね。タランティーノ作品のアクションやバイオレンスが好きという人がいて、過去の名作へのオマージュが面白いという人がいて、足へのこだわりに共感する人がいて、そういう多面的な評価があるから素晴らしい作品として成立しているのだと思います。僕もタランティーノ監督の映画は好きで、足フェチ的には『デス・プルーフ』『フロム・ダスク・ティル・ドーン』が、純粋に映画としては『パルプ・フィクション』が特に好きです。

少し、理想のフェチ作品についての仮説が見えてきました。フェチという価値はそれ自体であるよりも、他の価値観(格好いい、可愛い、美しい、エロい、面白いなど、評価の対象になり得るもの=評価軸)との繋がりや位置関係によってより輝くことがあるのではないでしょうか。先述の「足を主題としていない」作品も、足以外の部分で作品として一定のクオリティを持っているものです。言い換えれば、「フェチさ」も沢山ある評価軸の中の一つであるので、それ以外の評価軸がしっかりしていないと作品としての強度が足りず、物足りなさを感じてしまうのだと思います。
もちろんこれは僕が思うフェチ作品の理想の話なので、僕が素晴らしいと思った作品でも、フェチさを重視する人にとっては「物足りない」と思うことがあるでしょう。フェチ自体、分からない人には分からないものですし、足フェチが分かる人でも好みは十人十色です。だからこそ、僕はフェチさを追求しながらも、一つの評価軸だけに依存しない作品を作っていきたいと考えています。

フェテュッシュは至るところに潜んでいて、気まぐれにその片影を見せる。目の前にあるはずなのに、すくい取ろうとするとどこか遠くに逃げてしまう。僕が自分のフェティッシュの本質を暴こうとファインダーを覗いているとき、それもまたこちらを常に伺っている。フェティッシュの撮影というのは、モデルとカメラマンの闘いであると同時に、自分の中のフェティシズムとの闘いでもある――
そんなことをぼんやり思いながら、次の撮影の計画を立てたりしています。でも実際の撮影になると、素敵なモデルさんを目の前にして小難しいことはどこかに飛んでいって、夢中で撮影してしまいますけどね。

写真3

※ この記事では筆者個人の考えを述べています。フェチの感じ方は人それぞれです。また、フェチとフェティッシュの言葉を厳密に使い分けてはいません。

写真・文章

ライター画像

灰色の群(Ashen Bards)
フェティッシュサークル『SWEET CIRCE』主宰。カメラマン。偏愛する吟遊詩人。足フェチ。記事中の写真は筆者が撮った作品です。足に限らず、フェティッシュな撮影ができるモデルさんを募集しています。
http://sweetcirce.com/
http://sweetcirce.thebase.in/
twitter:@sweet_circe

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