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セルフポートレイト2人展「コンプレックス」


写真とフェチ……考え始めるとキリのないテーマです。
そこで、例えば「セルフポートレイト」と「コンプレックス」という2つの切り口から考えてみませんか?

今回ご紹介するのは、あおいインコ四月一日真白(わたぬき ましろ)さんによるセルフポートレイト2人展「コンプレックス」。

会場は、公募セルフポートレイト展「私がわたしを撮る理由4」が開催されていたカフェギャラリー幻。

取材に伺った日はあおいインコさんが在廊していました。そこで、ご自身のフェチについてのほか、セルフポートレイトを撮ることなどについて、いくつかのお話を聞いてきました。

展示風景

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ステートメントの掲示された壁沿いに、まずはあおいインコさんの作品がずらっと展開。

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黒壁部分の作品はアクリル板による額装で、特に目を引くのはコルセットで腰の細さを強調した中央の3枚組と、上段の両端2枚。いずれも、後に触れるインコさんのコンプレックスが色濃く投影されているという印象を、写真を見直して再確認。

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あおいインコさんの展示は、スチレンボードとアクリルで、サイズも一揃え。その一方、「自宅!」という背景が特徴的(お2人とも自宅を撮影場所に使っていると聞いた記憶が)である四月一日真白さんの作品は、大判・小判、そしてポラロイドと、様々な種類が混在して展示されていました。

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中でも筆者の関心を強く惹きつけられたのは、ポラロイドを集めた額装作品でした。

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写真作品は、フィルムのネガやデジタルデータなどの元版があれば、「(一応)複製」できるため、作品的価値を維持するためにプリントを限定枚数に絞ったエディション制になることは少なくありません。

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しかし、ポラロイド(チェキ等も)カメラで撮られた写真は、フィルムネガやデータに相当するものがなく、カメラから排出されたものが世界にただひとつのプリント作品となります。その希少性自体は、フェティシズム本来の語源に近い呪物的な物神崇拝や、写真に切り取られた被写体との関係性、撮影者への関心等々と結びついて、様々なフェチ的価値を生じさせることがあります。

日々デジタルデータからのプリントや、印刷所を通しての書籍という形式で、常に複製可能な状態にある写真にばかり触れている自分としては、8枚のポラロイド写真の額装という希少価値の点からも非常に贅沢な作品に、フェチ心を刺激されていました。

あおいインコさんのフェチと「コンプレックス」の関係性

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取材当日は四月一日真白さんはおらず、あおいインコさんが在廊されていたので、展示内容のほか、恒例の「フェチ」について聞いてきました。

まずは展示タイトルでもある「コンプレックス」
あおいインコさんの抱く「コンプレックス」は、「ガリガリな身体」「首」
セルフポートレイトを撮る際に意識している点は、これも「コンプレックス」である「くびれ」「髪」を主要なモチーフに据えているのだとか。
展示作品にアクリル板を多用する理由は、「透明感」「光」「透ける感じ」が好きという理由。多くの人は、紙媒体以上にモニター越しに写真を見ることの多い現代ですが、展示される写真は、印刷用紙(光沢、半光沢、和紙、アート紙etc.)はもとより、どのような素材(額かパネルか)を使って展示を行うのか。そういった点まで含めて作家の「フェチ」が発露される場であると、私も常々感じています。(著者は展示活動に参与する側でもあります。)

写真展示のスタンダードなスタイルとして、スチレンパネル(ハレパネ)や、家電量販店の写真用品コーナーにあるフォトフレーム、紙製のフォトマットのほか、デッサン額や世界堂等で売られている様々な額とマットフレームを組み合わせたものや、木製パネルに写真を貼り付けるタイプのフォーマットが挙げられます。しかし、水中ニーソでお馴染みの古賀学さんは、作品の「透明感」を強調するために、アクリル板を使っているという話をtwitterで見かけた記憶があります。あおいインコさんの作品も、古賀さんの水中ニーソも「青」が象徴的な色であり、「透明感」を強調しやすいアクリル板との好相性である…といった共通点を、リポート記事を書きながら思い返しておりました。

さて、あおいインコさんにお聞きしたフェチを感じる要素は「大きなお尻」
自分の身体にはないもの、つまり「小さいお尻」に抱く「コンプレックス」が投影されたものともいえます。

「なぜ写真を撮るのか?」

国内のセルフポートレイトの文化は、世界に先駆けて登場した携帯電話内蔵カメラ(写メって、最早死語ですよね)の効果もあり、アイデンティティやジェンダーに関連した文脈では、写真史・写真論とは別の文脈でも頻繁に名を読み聞きする先駆者の系譜、例えばそれはシンディー・シャーマン、ナン・ゴールディン、ロバート・メープルソープ、森村泰昌等々とは異なる独自の進化を遂げております。

つまり、日常的かつ手軽な「自撮り」とはまた異なるものとして、「セルフポートレイト」が根付いているように思います。
「コンプレックス」の会場でもあるカフェギャラリー幻では、2012年より毎年「セルフポートレイト展 私がわたしを撮る理由」が行われており、つい先日(最終日:6月20日)には第4回が行われました。

(以下、ギャラリー幻の「私がわたしを撮る理由4」のページより引用)

ソーシャルメディアの普及で「selfie(セルフィー:自撮り)」が定番となり、自撮りを見ること・撮ることが日常化しました。誰もがコンテンツとしての自分を配信できる中、似たような「私」が溢れ、時に肥大化した承認欲求が過激な表現へ向かわせる。そこには、繋がりたい、自分の存在を知って欲しい、自分を客観的に見ることでの肯定・解放など、様々な理由が挙げられます。
その一方で全く異なるセルフポートレイト、自撮りも目にします。本展は2012年にスタートし、今年で4年目となるセルフポートレイトの公募コンテストです(初年度は企画展として開催)。昨年の「私がわたしを撮る理由3」では、アトピー性皮膚炎とともに生きる自身を写した作品が総合1位となり、自然の中で新たなセルフポートレイトの可能性を示した作品が2位となりました(「私がわたしを撮る理由 3」(2014))。今年はどのようなセルフポートレイトを見ることができるのか。ジャンル、性別、年齢、あらゆる垣根を越え、「自分を撮る」だけをルールに15名が作品を出展します。
自分を撮るあなただけの意味と意志を提示して欲しい。
「あなた」が「あなた」を撮るのはなぜですか?
(艶子/カフェギャラリー幻)

艶子さんの文章を読み直すと、Feti.Tokyoの記事でも頻繁に言及させて頂いているお耽美写真家 憬-Kay-さんと某ギャラリーの交流会で、初めてお会いした際のことを思い出します。

「なぜ写真を撮るのか?」

という、クリティカルな質問を向けられたのです。

質問に対してのアンサーは、暫く更新が停滞している筆者の連載記事の中で追々触れていく予定です。ただ、何らかの目論みを持って、記念写真や記録写真とは異なる表現行為として写真を撮るという行為は、常に「何故撮るのか?」という質問を向けられる可能性があります。
(ちょっと誇張的かもしれません。)
2人展「コンプレックス」のステートメントは、まず、冒頭から「あなた」に問いを投げかけます

(以下、ギャラリー幻の展示紹介ページより引用)。

あなたのコンプレックスは何ですか。
今回の写真展は、自身のコンプレックスに写真を通して向き合う、というコンセプトで作られました。
作品はすべて「セルフポートレート」。自分で自分を撮るという手法は、否が応でも自身の外見、内面と対峙せざるを得ません。
あなたのコンプレックスと私たちのコンプレックス、共通する部分はあるでしょうか。向き合い方に、共感していただけるでしょうか。
皆様の考え方に、少しでも影響を与えることができたら、とても嬉しく思います。

※「ポートレート」、「ポートレイト」の表記については、引用に関しては原文ママ。本文中は「ポートレイト」に統一。

他者を撮る人も、自分を撮る人も、改めて「わたしが他者(わたし)を撮る理由」や、「コンプレックス」について一考してみるのは如何でしょうか?
余談ですが、筆者が写真に傾倒した理由は、絵心が皆無という「コンプレックス」があります…が、このあたりの話も、また今後の連載の中で。

【開催概要】(終了)

Cafe Gallery 幻
2015年5月20日(水)~5月24日(日)
時 間 15:00~22:00
http://cafegallerymaboroshi.com/

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鈴木真吾

鈴木真吾

学習院大学大学院身体表象文化学専攻博士後期課程在籍中。文化社会学、ジェンダー論を専門にする傍ら、多方面に研究領域を拡大中。研究と並行して、サークルC-ROCKWORKを率いつつ、同人誌製作(編集・DTP)やイベント出展、写真撮影&展示、各種媒体への寄稿等で活動中。レトロ、猟奇、アングラ、サブカル、キッチュ、フリンジ、B級・Z級などを愛好。
Twitter:@junk666
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