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『私の愛したフェティシズム』第1章 フェチは如何にして生まれてきたのか 詳説 〜その考察から見えてきた、答えのようなものの断片〜 2


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© TONY / Libido M&J 2009 2015

引き続きご覧いただき、ありがとうございます。
大森弘昭と申します。

連載も4回目となりました。
まずは、前回のおさらいをしましょう。

理想郷での失敗と、その解決の術

私自身において、人間として決定的に『足りない』ものと、これまでの大きな失敗の数々。
その根本要因は「コミュニケーション不足」でした。
コミュニケーション不足により、自分にもたらされた『奇跡』を食いつぶしていった結果、自分にとってのフェチが「自分が立てる居場所」であったという、その本質を理解するのに多大な時間を要してしまいました。

ただただ浪費していた時間の中で、私はフェチという空間に浮かび上がっていた理想郷と、現実の不甲斐なさの大きなギャップに苦しみました。
苦しみに苦しみ抜いた果てに見つかった、その解決手段に到達できたのは、実はここ数年前のことだったのです。

その解決の術とは

『視野を広げて』

『自分と社会との距離を理解し』

『相手を慮ること、すなわちコミュニケーションを図る』

ことにほかなりませんでした。

結果、私はこの結論から導き出した回答として、自らの社会性をはっきりと獲得することを意図し、その上で『alice』の名前を捨てる決意をしたのです。
そのとき、ふと思いました。
こんな、初老のただのおっさんのささやかな決意は、果たして何のためになるのでしょうか?

名前を捨てた理由

私にとって25年以上愛用してきた名前、『alice』。その二つ名を、去年11月に捨てました。

その理由は『自らの性癖と、全身タイツに纏わる啓蒙活動が相反したことで、双方にしっかりと線を引きたかったから』。
連載の一回目で書いたとおりです。
全身タイツフェチの世界が理想郷だ、それは何物にも代えがたい。
そう思っていた私と、
もっと全身タイツの素晴らしさを一人でも多くの人に知ってほしい、と思う私。

この『二つの私』が同居することは、「自らの性癖」と「社会性」が乖離してしまうことと同義でした。

それを私は初回の冒頭で『恥ずかしくなっちゃった☆』とチャラーく表現しました。
それは正しくもあり、間違ってもいます。
今後の物語の核心に入るために、この点についてハッキリとさせておかなくてはなりません。

さらにこの物語は、前回文末の私なりの決意へと繋がっていきます。

「ある一線を超えてしまった」

『二つの私』の同居に耐えきれなくなった、本当の理由。それは

『自分の性癖が、ある一線を越えてしまったから』でした。

私は、元々ヘテロセクシャル、つまりノンケでした。恋愛対象は女性だけ。
ところが、その元々の『セクシャリティがグラグラと揺らぐ』という、貴重な体験をすることになりました。

全身タイツフェチと私達が呼ぶ世界には、『スリスリ』という言葉かあります。
簡単に言ってしまえば、ゼンタイを着た者同士による「愛撫」です。

この『スリスリ』と名付けられたプレイを通じて、私のセクシャリティがそれまでのヘテロセクシャルから、バイセクシャルの方向へ傾倒するようになったのです。

プライベートな部分、セクシャルな部分に踏み込むため詳細は省きますが、この過程で私は、現在まで続くかけがえのないプレイパートナーと出会い、様々に貴重な経験をすることができました。現時点における自分のセクシャリティに対し、私自身、殆ど後悔はしていません。

ただ、今でも悔やんでいることがあります。私は一つの、いや、厳密には二つの大きな失敗を犯しました。

二つの大きな失敗

一つは、自分に訪れたこの貴重な経験を「他の人も体験できる」と無謬的に妄信してしまったことです。

若気の至りと言えばそれまでですが、一人で勝手に「オーバージェンダー」なる言葉を作っては、同じような考えの方と共にその他の考えを持った他人にも理解を進めようとしていました。

つい最近に至るまで行っていた、そのような行動が「『自らの信念を他人に押し付ける』行為になっていたのではないか」と問われれば、首を縦に振らざるを得ません。

そして、もう一つの失敗は

スリスリをベースに様々な「試み」を続けたことで、人間間のセックスよりもゼンタイを介したプレイの方が快感で勝った、と『勘違い』してしまったことでした。

誤解を恐れずに書くならば、私自身は今でも『ゼンタイでスリスリしていた方がセックスよりも気持ちいいじゃん』という認識でいます。でも、それに大きな条件が課されていることに気づくのが大幅に遅れてしまったのです。

それは、

『私自身にセックスの経験が圧倒的に足りないが故に、セックスを比較対象にできない』ということでした。

人間にとって、セックスはただの生殖行為ではありません。ただの生殖行為に精神が介入することにより、さらに方法の如何はもちろん、相手との相性、思い入れ、関係性、そして信頼性や愛情により、その形態、重要性、快楽性は様々に変容します。

それほど価値に流動性を持つセックスと『スリスリ』を、比べることそのものが、大きな誤りでした。

そんな簡単なことを理解できないまま、私はゼンタイを介した性的行為(=自分の性癖)が、生殖行為よりも勝っていると『思い込んでしまった』のです。

自分の中の変容、そして思い出されること

2015年の現在、これまでの活動を振り返るたび、上の二つについては間違いであったと痛感します。
確かに自分のセクシャリティは変容したかもしれませんが、少なくとも

現在までの自分の経験が、すべての人間に訪れる訳ではない。

その事実は疑いようがありません。

さらにそれは、自分の価値観を他人に押し付けるという愚行に他ならないのです。
そして、私はそのことに気づくのが遅すぎた。今、この大きな事実が私の背中に大きくのしかかっています。

ようやくこのことに気づいた時、私は『ゼンタイフェチ』という理想郷で出会った先人から教えられた、ある2つの言葉を、改めて思い出したのでした。

一つは、ウェット&メッシーの世界を日本に紹介し、日本のアンダーグラウンドを世に紹介し続けた『下関マグロ』による

『一人家元』

そして私が師と仰ぐ、全身タイツフェティシズムの先駆者『マーシー・アナーキー』の言葉

『フェチはフェチの上にフェチを作らず、フェチの下にフェチを作らず』

私は、この言葉の本当の意味を、やっとこの時に知ることとなるのです。

続く

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大森弘昭

大森弘昭

Night Gallery Cafe Crow店主でした(8/31閉店)。9月になったらただの42歳のおじさんです。
全身タイツが好きで、20年全身タイツで遊ばせて頂きました。これからは、これまで頂いた全てのご恩をお返しする日々が始まります。
よろしくお願いします。
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