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『私の愛したフェティシズム』 第1章 フェチは如何にして生まれてきたのか 詳説 〜その考察から見えてきた、答えのようなものの断片〜


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© TONY / Libido M&J 2009 2015

 

さて。

『フェチ』という言葉と向き合っていく中で現れた1つの問い

――私の中にある『フェチ』とは一体何者なのだろうかーー

 

この問いに対して、実のところを言ってしまうと、これだっ!と言えるほどの確実な答えは未だに出せていないままです。

偶像崇拝?
やー、私は神道なので、全身タイツだけを崇拝してるわけじゃありません。八百万の神ですね。神道関係ないね。

パラフィリア?(性的倒錯)
間違ってはないんですよね。自分の性癖として全身タイツは大きな位置を占めますし。ただ、私は幸か不幸か、人間が持つ一般的な性的指向がないわけでもありません。じゃなきゃ風俗ライターなんてできませんし。やってたのかよ!

…ノリツッコミがキマったところで、じゃあ何なのよ!
と、ハタと考え続けて、なんとかひねり出せた一つの答えのようなものがあります。今回はそれについてお話ししていきましょうか。

前回、私はかなりディープな内容の記事を書きました。絶望、無常、更には自殺未遂まで。大げさでもなんでもなく、本当に私自身が感じた思いです。
その上で、私は全身タイツを『フェチ』という概念の基に愛し続けたのですが、
実際はある日まで、全身タイツが持つ本領を理解できていませんでした。
そして当時はその本領が、人間が持つ一つの大きな力によってもたらされることなんて、考えもしませんでした。

それは、

「コミュニケーション」

だったのです。

 

ーー

 

22歳のとき、私は幸いにも、全身タイツ愛好者が集まるグループに出会うことができました。
PFC。「パンスト・フェティッシュ・倶楽部」と言う名の、
パソコン通信上に存在した、当時結成されたばかりの集団でした。
そこには、私よりも遥かに高い次元で全身タイツを愛する人たちが集結していました。
日々自らの願望や夢を語り合い、各々が持っている深い傷を癒しあっていました。
そこには、私が思うところの『希望』で溢れていました。

人生が救われた。
そう思いました。

その集団での活動に没頭しました。
しかしPFCの中では限りなく若手で、私と同年代の参加者はごく僅か。
遥かに年上の人達ばかりでしたから、『学ぶことだらけ』の世界で、
それを一つ一つ吸収するのが精一杯でした。

私を取り巻く環境も、幸運なことに私に味方しました。
PFCのオフラインパーティで、とある方とご縁があったことで私は『夜の世界』に身を投じることになりました。
気がつけば、ダンスミュージック、クラブパーティ、アンダーグラウンドカルチャー、エトセトラ、エトセトラーー
そのど真ん中に、私は立っていたのです。

その結果、自分の性癖を早い段階で周囲にオープンにすることができました。
仕事の先輩や同僚、はたまた仕事相手や当時の友人全てが自分の性癖を知り、
認知してくれる場所に立つことができたのです。
これは紛れもない『奇跡』でした。

しかし。
こんなに幸運な状況においても、私は全身タイツの本領をわかっていませんでした。
それは多分、「『フェチ』の本領を理解できていなかった」と言い換えてもいいと思います。
理由はわかっています。

視野が狭かった。
そして、
社会をわかっていなかった。

自分の立場を理解していなかったし、自分の役割も全くわかっていませんでした。
全身タイツの世界、そして現実の環境において私は未熟でした。
見えるはずのものが全く見えていなかったし、
自分という存在が社会とどう向き合うかも掴めていませんでした。

私という存在が、世間からどう見えるのか。
それすらもわかっていなかったのです。

ただただ、私はひたすら環境の幸運に恵まれたのだと思っています。
今になってわかることですが、私の過ちを周囲の方々は優しく補って下さいました。
何度となく同じ過ちを犯しても、暖かく包み込んでくださいました。

私は、その優しさに、ひたすら甘えてしまったのです。
優しさから学べることはたくさんあったはずですが、
私はこのチャンスをことごとく逃してしまいました。

『奇跡』を理解できなかった私は当時、環境の幸運に薄々気づいていながら、
自分を律することのできない苛立ち、
そして『認めてもらえない』という不満で、頭がどうにかなりそうでした。
そしてその不満が『誤解』『誤り』であるという事実に気づくのに、多くの時間を要しました。
誤解を恐れずに書けば、そのことが分かったのはーーここ数年のことです。

不覚です。
不覚としか、言いようがありません。

私は出口の見えないトンネルを進んでいるような心境の中、
逃げるようにして全身タイツとインターネットの世界で活動を続けました。
それはーー

「承認欲求」
そのものでした。

今、私のパソコンの中には、PFCの先輩から頂いた、
当時のやり取りを記録したログデータがあります。
それを見るとねえ、もう、恥ずかしくって仕方がないんですよ(笑)
これでもかー、これでもか!ってくらいに背伸びしているし、空気も全く読めていない。
もし当時のような振る舞いを今もしていたら、
私はツイッターで叩かれ、2ちゃんねるでは笑い者にされ、
Facebookでも誰にも相手にされていなかったことでしょう。

今でも、ここら辺についてはあまり自信がありません。
でも、こうやって書かせて頂けているだけでも、少しは成長したのかな。

…ここまで読んで、お気づきになることはありませんか?
私が『奇跡』を手にしていても、全くそれを生かせなかった、根本的な理由。

それこそが
「コミュニケーション不足」
だったのです。

私に足りなかったもの。それはコミュニケーションでした。
目の前にいる人の存在を認め、何を考え、何を思っているのか。
そして、どう向き合い、話をし、理解し合い、距離を取り、信頼していくのか。
このことを当時克服できていれば、これまで書いてきた様々な事柄が理解できたはずで、
それは間違いなく自分の糧になったはずです。

でも、できませんでした。
私は、折角手に入れた『奇跡』という貯金を、切り崩し続けることしかできなかったんです。

ここで、いきなりフェチの話に戻します。
強引だなー!

『奇跡』の貯金をなし崩しに切り崩してきたのに、それでもここまでやってこれたのは、一体なぜだったんだろうか。
バーの店長になってしばらく経ったある日、誰もいない夜のお店でふと考えたことがあります。

しばらく思いを巡らせ、私は一つの仮説を立てました。

『自分が立てる場所があったからではないか』

『その立っていた場所とは何か』

『ああ、それこそが「フェチ」じゃないか!』

私にとって、全身タイツ、
いや、フェチとは。
敬愛の対象であるとともに、『自分が立っていられる場所』でした。

同じ苦悩を抱え、理解し、癒してくれる方々がたくさんいる場所。
自分にとって、自信を持って「これやってるんすよー」と言える場所。
友人でも、恋人でもない、『同志』と言える強固な関係にある、信頼できる人たちがいる場所。
そして、自分を『認めてくれる』場所

少なくとも私にとって、自分のフェチとは、『自分の居場所』だったんですね。
大げさですけど、それは『理想郷』と言ってもいいほどの居心地の良さでした。
自分の世界が、こんな居心地の良さで全て包まれればいいのに、なんて何度思ったことか。

であるがゆえに、私は現実と理想郷とのギャップに悩み、苦しんだのだと思います。
その悩みの原因が自分の中にあるなんて気づかず、ただひたすらもがいていたんですね。

そして今になってハッキリと言えるのは、
このギャップに気づけていれば先に進めたし、
ギャップに気づいたからこそ先へ進めた、ということです。
その気づく術とは、まさしく

『視野を広げて』
『自分と社会との距離を理解し』
『相手を慮ること、すなわちコミュニケーションを図る』

ことに他なりませんでした。

ーー

この時、
私は初めて本気で思ったのです。

私は、今までの私と決別しなければならない。
私はもっと本気で視野を広げ、社会性を獲得しなければならない。
私は一人の人間として、自分にもっと向き合い、人と接し、
今以上にコミュニケーションをとっていかなくてはならない。

私は。

私は『alice』という二つ名を、
捨てなければならない、と。

でもーーー
それは、何のために?

 

 

続く

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大森弘昭

大森弘昭

Night Gallery Cafe Crow店主でした(8/31閉店)。9月になったらただの42歳のおじさんです。
全身タイツが好きで、20年全身タイツで遊ばせて頂きました。これからは、これまで頂いた全てのご恩をお返しする日々が始まります。
よろしくお願いします。
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