お元気ですか。大森弘昭です。
前回、
『こんな私は、全身タイツフェチと、 今でも名乗ってよいのでしょうか?』
全身タイツが自分の性的嗜好であることに気づいてから30年以上
そしてその活動の舞台は不特定多数が見聞きするような開かれた場
つまり、
その上で私自身、フェチは自分の中の性的嗜好の根幹だと、
どう見ても矛盾しています。よね?
じゃあフェチって言えばいいじゃん。メンドクセーなオレって。
でも、それにためらう自分がいるのです。
それは一体、何故でしょう?
先に書いた質問。
その真意とは、この『フェチ』
そして、人間一人一人が持つ根源欲求の一つ「性欲」
これらを表現するがためでした。
『フェチ』という言葉における定義の揺らぎについては、
私がこれから書くことは、そちらではありません。
ーーー
自分の性的嗜好を自覚する。
このプロセスは、ほぼどの人間にも存在するプロセスです。いつ、
それはしばしば自分の体との矛盾を起こしたり(GID)、
ーーそしてあるいは、
まるで、
性的嗜好を自覚した時。
人間は自分の未来を考える機会を得ます。
そのために伴侶と出会う未来。
伴侶との間に恋愛を育む未来。
そして、
その全てに性的嗜好が直結する、事実。
時に、その事実は残酷になります。
その性的嗜好によっては、未来を描けないかもしれない、
子供が作れないかもしれない。
結婚できないかもしれない。
いや、その前にーー
恋人すら、
いや、
友達すら、できないかもしれない。
自分の性的嗜好が定まらずに色んな分野を彷徨う人がいます。
自分の性的嗜好を無理やり変えようとする人がいます。
自分の性的嗜好を家族にもひた隠しにしようとする人がいます。
自分の性的嗜好が「そもそもない」と全否定する人さえいます。
全ては、先に書いた『不安』や『絶望感』から逃れるためです。
うまくいけば御の字。
しかし、現実はそう甘くありません。
その変化に耐えられるほどの精神、変化させるほどの意志、
人間、そんなに強くないですよ。
そして、私は『フェチ』を自覚しました。

© TONY / Libido M&J 2009 2015
わずか10歳、とある春過ぎにおける、
あれが全ての始まりでした。
種は、8歳の時点で私の脳に植えられていました。
その種が、このタイミングで、
一人の「全身タイツフェチ」が誕生した、瞬間でした。
私はそれから熱狂し、絶望し、苦悩し続けました。
自分の性的嗜好を変えるには、私自身の力が足りませんでした。
反吐が出る思いでした。
こんなに変なものを好きになってしまった私に、結婚など、
周りに友達は少ないながらもいる。友達といるのは楽しい。
だが、とてもではないが自分のこの忌むべきほどの性癖を、
そうに、そうに、違いない。
22歳になっていました。大学3年生でした。
顔はニコニコ笑いながら、
正直、自殺まで考えたこともありました。
その翌年。
忘れもしない。1994年の冬。
私の人生は、そこから180度変わったのです。
何故か?
それには、ある素晴らしいテクニックがあったからです!
ってそんなサイドビジネスじゃねえええええええええええええええ
いやー、空に向かってノリツッコミするって気持ちいいっすね!
え? 今っすか?
スッゲー楽しいですよ!
あんなに悩んでたのがどこ行っちゃったのって感じ。
ーーでもね。
先に書いた恨み節のようなことは、
私なんかまだ運がいい方です。それもかなり。
これから、
正直、描ききれるかわかりません。
それでは、しばし長くなりますが、
それと、おじさんとの約束。
これは、あくまで私個人の見解です。
決して、闇雲に何かや誰かへ当てはめることのないよう、
おじさんとの、約束だよ☆
第1章 フェチは如何にして生まれてきたのか 詳説 へ続く

大森弘昭
全身タイツが好きで、20年全身タイツで遊ばせて頂きました。これからは、これまで頂いた全てのご恩をお返しする日々が始まります。
よろしくお願いします。

最新記事 by 大森弘昭 (全て見る)
- 第2章 フェティシズムは、未来にとってどうあるべきなのか - 2015年7月23日
- 『私の愛したフェティシズム』第1章 フェチは如何にして生まれてきたのか 詳説 〜その考察から見えてきた、答えのようなものの断片〜 2 - 2015年7月16日
- 『私の愛したフェティシズム』 第1章 フェチは如何にして生まれてきたのか 詳説 〜その考察から見えてきた、答えのようなものの断片〜 - 2015年6月18日