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『私の愛したフェティシズム』ー序章 フェティシズム、いや、フェチとは何か?|大森弘昭(Night Gallery Cafe Crow)


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© TONY / Libido M&J 2009 2015

「現代の日本においては 、ヤンキー的な器の中におたく的なコンテンツが入っている構造のものがヒットする」
ー 斉藤環『ヤンキー化する日本』(2014 KADOKAWA / 角川書店)

Feti.Tokyoをご覧の皆様、初めまして。大森弘昭と申します。
六本木でちっちゃいギャラリーバーをやっておりましたが、8/31にて閉店が決まりました。Feti.Tokyoさんでも記事にして頂き、感謝の言葉しかありません。この場を借りまして、ご愛顧頂いた全ての皆様に厚く御礼申し上げます。

そんな私のようなおっさんが何故こちらにお邪魔させていただいたのかと言いますと、不肖私、全身タイツに関する活動をしております。あれは1995年のことになりますか。パソコン通信(インターネットじゃないよ)に存在した団体に参加して以降、チマチマと全身タイツにまつわるなんちゃらかんちゃらをしておりました。
20年ーーあ! もう20年経ったのか! 人生半分! 半分! 半分、か……。

まあ、それはいいや。
全身タイツにまつわるあれやらこれやらをしていく上で、たくさんの方にお会いし、たくさんの経験をさせていただきました。その経験は、私の人生の中で糧となり、私というものを形成しているわけでございます。
さて、活動というものを20年もやってみるものでございまして、その活動における中でいわゆる「フェティシズム」に関する様々なことが、自分の中で分かって来たんですね。
そこには、人間のありとあらゆる感情がギュウギュウに詰め込まれたような、はたまた自分という生物の中心のさらに中心に存在するコアのようなものが丸裸にされるかのごとく、普通にはまず間違いなく味わうことのできない、体験や発見がありました。

そこから導けるものがあるのではないか、とまあ随分と長い間格闘してまいりましたが、ここへきてようやくその一端が分かってきたような気がするので、ここでちょっと書いてみようと思います。
あくまで私という個人が感じてきたことなので、異論や他論はあるかと思いますが、自分の中にはある種の、いや、なんとも形容しがたい確信めいたものがあります。
さらに、その確信を裏付けるかのようにして、昨今様々なことが起こり、確信はちょっとした「使命」のようなものになってきています。

そんなおじさんの、『ただの与太話』です。
聞いてもらっても、いいですか?

 

序章 フェティシズム、いや、フェチとは何か

ああ、そうだ。
その前に大事な説明から始めないといけませんね。先に書いた『フェティシズム』とはなんぞやについてーー、ああ、もう書いている方がいらっしゃいますね。

「フェティシズム」の語源とその展開

(1) http://feti.tokyo/1607

(2) http://feti.tokyo/1707

(3) http://feti.tokyo/2106

鈴木真吾さんがFeti.Tokyoで書かれているこのシリーズ、豊富な参考文献と共にキッチリとフェティシズムに関するご説明をされています。

フェティシズムに関する解説は鈴木さんにお任せするとしまして、ここではあくまで「私という個人の目線」から感じた「フェチ」について書くことにしましょう。

私におけるフェチの対象は、まさしく「全身タイツ」でした。
それも、とんねるずのお二人が世間に知らしめた名番組「とんねるずのみなさんのおかけです」における人気シリーズ『博士と助手』に出てきた『モジモジ君』ーーではなく。
頭からつま先まで、すべてをレオタード生地にて覆われた、全身レオタード状態のものでした。
布地の隙間から空気が吸えるので呼吸の心配もなければ水だって飲めるしタバコだって吸えちゃう!(汚れるからしないけど)

モジモジ君をさらに顔の部分まで覆った、まさしく「のっぺらぼう」様の存在。
私にとってこの全身タイツは、人間の裸体に勝るとも劣らないほど、性的欲求を最大限に満たすものでした。初めてこの性的嗜好を自覚したのは10歳の時。以降現在に至るまで変わっていません。
これを表現する言葉として、今の時点では「フェチ」としか形容ができないのです。そして今は、この『フェチ』という言葉そのものの守備範囲が広くなっている、ということも強く感じています。

正直に書きますと、
ーーフェチとしか表現できないのが悔しいーー
とさえ思っているんです。

でね。
現在自分が公の場で全身タイツに関する活動をする際は、『全身タイツーーマニアーーの大森弘昭さん』と表記するよう、メディアさんにお願いしています。
理由はそんなに大したことじゃないんですけどね。
私にとって、フェチという言葉は『性的嗜好』そのものです。
そして、ここ数年いろいろとモヤモヤ悩んだ結果、自分の性的嗜好を公衆の面前で見られるのが、とっても恥ずかしくなってしまいました。
やー、自分のフェチなんてとてもじゃないけど人様に見せられるような代物ではなくてですね、えーとなんだ、その、そりゃあアレやソレとか作ったり出たりしたけどさあ、それは限られた人が見るという前提があったからでーーああ面倒臭い!

率直に書き直します。
「公の場だから」と考え直した結果です。
自分にとってフェチが性的嗜好である以上、「不特定多数の人がいる場で自分の性的嗜好を晒す」と考えると、やっぱり社会的通念上大きな違和感があります。
でも、自分の中には『全身タイツの良さを世間に広めたい、知ってほしい』という思いも非常に強くあり、それはもうどちらかというと結果として、私の元々の嗜好とは裏腹に、
『性癖的なアプローチではなくなった』
んですね。
これに自分自身が気付くのに大分時間がかかりました。遅すぎるだろ!っと空に向かってノリツッコミしたぐらいです。
なので、その思いを込めまして、公の場において「私は全身タイツ『フェチ』です」と名乗るのをやめることにしました。
それと同時に、それまで使っていたハンドル名『alice』『大森ありす』を使うのもやめ、本名を名乗ることにしました。去年の11月のことです。
だって、性的嗜好ではありませんからね。
隠す必要がなくなりましたから。
矛盾しとるやんか!
そんなんゆーたて、性癖バレバレやん!
うむ。その通り!

ーーいろいろ考えたんです。

若気の至りでいろいろやってきたけど、最終的に性的嗜好そのものを公の場において開陳することに限界を感じて、歳もとって、いよいよ自分の中にある絶対的な矛盾ーー全身タイツを広める活動をしたいけど、それは自分の性癖を公にすることと同義であるーーを解決しなければならなくなったわけです。
物凄く形式上のことでしかないけど、なんらかの形で、自分の中で線を引かなければなりませんでした。
それが先程書いた『マニアを自称する』『ハンドル名を捨て本名を名乗る』という選択肢だったんです。
20年やってれば、マニアって名乗っても、いいっすよね? ね?
もちろん現在も、自分の中では全身タイツというものは性的嗜好の多くを占めています。

ただ、その性的嗜好の核心を公の場でお話しすることは、もうないでしょう。

だって、恥ずかしいもん。
でも、全身タイツの啓蒙活動は今でもできる範囲でしていこうと思っています。お店は閉まりますし、他にもお待たせしていることが山のようにあるのでなかなか思うようにはできないとは思いますが、お手伝いできることがあれば、していきたいです。
もちろん、全身タイツマニアとして、本名で。
それこそが、私が自ら課した『使命』に他ならない。
私の、偽らざる正直な、思いです。
ではここで、
まず皆さんにお尋ねします。
こんな私は、全身タイツフェチと、今でも名乗ってよいのでしょうか?


『私の愛したフェティシズム』

序章  フェティシズム、いや、フェチとは何か? <2>へ続く

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大森弘昭

大森弘昭

Night Gallery Cafe Crow店主でした(8/31閉店)。9月になったらただの42歳のおじさんです。
全身タイツが好きで、20年全身タイツで遊ばせて頂きました。これからは、これまで頂いた全てのご恩をお返しする日々が始まります。
よろしくお願いします。
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