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「フェティシズム」とペニス――「フェティシズム」と「フェチ」(3)


フロイトの「フェティシズム」論は、万能の象徴である男根が去勢されるという不安を沈めるため、個々人が見出した欲望の対象=フェティッシュを代理/想像上の男根である「女性のペニス」とみなし、女性が去勢されていることを知覚しながらも、それを(想像的に)否定することで、自らに迫り来るであろう不安を沈めるというものでした。

 

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しかし、フロイトの議論(「フェティシズム」以外でも)はペニスを持った男性をモデルケースにしているため、ある種の男根史観に貫かれています。「フェティシズム」が代理/想像ののペニスを求める欲望であるならば、女性フェティシストは存在しないことになってしまい、アンソニー・ストーはその点について、次のように指摘しています。

 

 

「フェティッシュを、失われた自信を回復させてくれるひとつの〈再保証〉とする点で、フロイトの正しかったことはまったく異論の余地がない。また、去勢不安という概念を拡大解釈して、性行為にまつわる不安のすべてを網羅する簡便な言葉、というふうに受け取るならば、フェティッシュを去勢不安にたいする再保証と考えることもやはり当を得ていると言うべきであろう。けれどもあらゆるフェティッシュが本当に〈女性のペニス〉を表わしているのかどうか。その点になると、ひとつの解釈として成り立つことはあっても、どうしても疑問が残るのである。」(アンソニー・ストー、1985、『性の逸脱』、理想社、97-8頁)。

 

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フロイトのモデルでは、「フェティシズム」は男性特有の病理(彼は「去勢不安」を沈めるために、不安の克服、フェティシストになる、同性愛者になる、という3つの解決法を臨床・分析経験を通じて提示しています)になってしまいますが、そのモデルでは把握しえない「女性フェティシスト」は以前から存在していたでしょうし、今日の「フェティシズム」・「フェチ」は男女双方に共通する嗜好でもあります。

 

 

「フェティシズム」の機能性

 

「フェティッシュ」には男性の〈自信〉を文字通りに回復させてくれるという側面があります。ストーは男性の方が女性よりも条件反射的な刺激に反応しやすいという、キンゼイ・リポートにおける記述を踏まえ、「フェティッシュ」が「勃起不安」を回避させる機能があると指摘し、次のように述べています。

 

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「フェティシストはこうすればきっとうまく性交できるだろうと確信できる状況を、何とか作り出そうとするわけである。だとすれば、過去において自分を確実に興奮させてくれた状況が、何と言ってもやはり一番確かだということになるのであろう。(……)フェティシストには、勃起を支えるものとして、フェティッシュの存在がどうしても必要なのである。」(ストー, 1985, 98頁)。

 

 

ストーの指摘は「男性の性的フェティシズム」に関するものであり、特定の対象が経験的性的興奮を約束してくれるという点が重要でしょう。また、「こうすればきっとうまく性交できるだろうと確信できる状況を、何とか作り出そうとする」という個所で思い出すのが、李笠翁『肉蒲団』です。

 

中国四大寄書のひとつ『金瓶梅』と並んで紹介されることの多い艶情小説『肉蒲団』は、立派だと思い込んでいた自分のペニスが(義兄弟との見せ比べで)非常に矮小であることを突きつけられた好色男の未央生が、犬の海綿体を自身の陽物に移植する仙術でご立派なモノを手に入れ、数多の女性を陥落させていきます。
04さらなる性的冒険が招きよせた因果で、未中中央生は過去の放蕩を悔い仏門に下るという、姦淫の恐ろしさを滑稽に描いた作品です。

 

仙術によって立派になった陽物を手に入れた未央生の喜びと、義兄弟であり豪奢な物を備えた賽崑崙が改造された陽物を見て驚く場面は次のように描かれています。

 

「未央生は布を解いてひと目見ただけで思わずあっと驚きました。でっかいというか立派というか、まったくもとの姿を一新した感じです。こんなすごいのを備えたからには、大威張りで世の中を歩けるぞと、未央生は大喜びでした。」(『肉蒲団(上)』, 足利光彦訳, 1986, 富士見書房, 174頁)

 

「賽崑崙は最初見たとき、未央生が驢馬の陽物でも取ってきて腰にぶらさげ、それで自分を騙そうとしているのかと思いましたが、近づいて仔細に眺めると、本物だということがわかったので、思わずあっと驚いてしまいました。」(同前, 177-178頁)

 

 

 

 

『肉蒲団』ではペニスが男性の自信を誇示するための「フェティッシュ」であり、ストーは「同性愛であるなしにかかわらず、多くの青年は、大きさと実際上の効果を混同しているので、人とくらべて自分の性器の大きさがどうであるかを特別気にしている」(ストー, 1985, 162頁)と述べています。同作で興味深いのは、大きさ(と長さ)を気にするのは男性だけでなく、女性側(生娘ではなく、手練れた成人女性たち)も自分の鞘の大きさや深さを満足させられる刀を求めているという点でしょう。

 

 

「フェティシズム」のナルシシズム的な側面

 

身体部位や装飾品という視覚的な対象ではなく、匂いや触覚に関する「フェティシズム」は、自覚・無自覚を問わず過去の体験に強く影響されるだけでなく、時と共に変わる可能性があります。もちろん、視覚的な対象も、後天的に変化していくかもしれませんが、極めて個人的な体験と結びつきやすい前者と比べ、後者は脚、乳房、尻、衣服など、比較的わかりやすく受け入れられやすい対象が選ばれる傾向が強いように思えます。

 

今日、「フェティシズム」(というより「フェチ」)について語ることは、「○○フェチ」として自身の属性を他者にアピールするための発話で広言しにくい、やもすれば「変態」というネガティブなレッテルを貼られかねない特殊性癖よりも一般的にわかりやすいフェティッシュ――脚、衣服、身体部位、髪型、匂いなど――を介して、理想的な自己象を構築するための手段であり、ある種のナルシシズムといえるかもしれません。

 

全身タイツやラバー、あるいはピアッシング等の身体改造などは、フェティッシュを通じた他者との性的関係とは異なるもの(細分化していえば「フェティッシュ・ファッション」)は、「フェティシズム」の関心が自らの身体に向かっており、「性的フェティシズム」であり、よりナルシシズム的な趣が強くあると思います。

 

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さらに、ナルシシズム的な趣の強い「フェティシズム」において、写真が重要な機能を果たすのですが、それについても、またいずれ論じていきます。次回は、主として「男性の性的フェティシズム」を中心に、彼らの求める「フェティッシュ」を介して表象される女性性や、他者との関係性について、幾つかの作品を取り上げ論じていきたいと思います。

 

 

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鈴木真吾

鈴木真吾

学習院大学大学院身体表象文化学専攻博士後期課程在籍中。文化社会学、ジェンダー論を専門にする傍ら、多方面に研究領域を拡大中。研究と並行して、サークルC-ROCKWORKを率いつつ、同人誌製作(編集・DTP)やイベント出展、写真撮影&展示、各種媒体への寄稿等で活動中。レトロ、猟奇、アングラ、サブカル、キッチュ、フリンジ、B級・Z級などを愛好。
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