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「フェティシズム」の語源とその展開――「フェティシズム」と「フェチ」(2)


前回は「フェティシズム」の語源と、その展開の一部について記しました。今回は、いわゆる「フェチ」と強い関連性を持つ「性的フェティシズム」について論じていきたいと思います。

 

大抵の場合、「フェチ」という言葉から連想されるものは性的な対象、あるいは有機物への「(偏)愛」であり、元々の「フェティシズム」に含まれている無機的なものに対するものがイメージされることは少ないかもしれません。音や素材(男性用、女性用のようにジェンダー化された「服」ではなく、素材それ自体)に対する「愛」もまた、「フェチ」ではあるのですが、第一回で述べたように、今日における「フェチ」の多くは人物(=性的対象)と結び付けられることが多くあります。

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「フェティシズム」や「フェチ」という言葉が、「性的フェティシズム」を包括しているため、「性的フェティシズム」は一般的な言葉ではありませんが、ド・ブロス以降、多領域で展開されてきた「フェティシズム」論と、今日的な「フェティシズム」・「フェチ」を区別するうえでは、「性的フェティシズム」という下位区分で様々な事象を把握する必要があります。『家畜人ヤプー』の著者である沼正三は、フェティ広義の意味での「フェティシズム」は、必ずしも性的な要素を伴うものではないという点に注意を促した上で、次のように述べています。

 

「フェティシズムの一般論的概説の展開は実に際限のない発展を見せ、人間内部の狂気衝動の、何が彼をそれに傾倒させていくのか、いったのか、という深い意味での動機上の心因すべてに立ち至る問題となる。(……)私はこの性的フェティシズムを名付けてあえて『純粋フェチ』と呼びたい。」(沼正三、2003、『選集・ある夢想家の手帳から 上』、新潮社、180頁)。

 

「フェチへの偏向のエネルギーは、象徴たるシンボルとの静的な対置的分析主義上の対象たることには飽きたりない。(……)天皇は平和日本の象徴である。その限りにおいてフェチとの関連はないが、尊拝という、天皇への心因的エネルギーの志向性が流れはじめるとき、天皇は民族的フェティシズムとなる。(……)サディズムに対するフェチがサドであり、マゾヒズムに対してのフェチがマゾなのである。(……)『ロリータ』の主人公ハーバートが少女淫愛症へのフェティシストであるとすれば、カール・マルクスは唯物論的フェティシストであり、反日共系全学連の学生達は革命へのフェチに憑かれていることを、否定は出来ないのである。」(同前、177-8頁)。

 

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『ヤプー』や沼の著作(膨大な量に渡るエッセーや寄稿)では、「女性崇拝」、「対象神格化」と並び「性的フェティシズム(純粋フェティシズム)」が重要な概念となっており、今日の「フェティシズム」・「フェチ」の考察においても、彼の指摘は極めて有用なものです。また、石塚正英もフロイト以前の「フェティシズム」とフロイトの議論の差異について、次のように記しています。

 

「フェティシュの論理(引用者注:愛着を持つ物品、それ自体が価値を持つ)はド・ブロスに発し、フェチの論理(引用者注:物品を愛することで、その所有者を間接的に愛する)はフロイトにおいて典型的である。/フェティッシュとフェチの意味の相違――前者は目的、後者は目的の代理――あるいは次元の相違――前者はヴァーチャルな現実、後者はリアルな空想――からすると、フロイトはド・ブロス的なフェティシズムないしフェティシュに関してまったくの勘違いをしていることになる。彼はおそらくド・ブロスを読んでいない。」(石塚正明、2001、『脚・フェティシズム』、22頁)。

 

ド・ブロスが論じた「フェティシズム」(呪物崇拝)は、最初期の原始的な段階における宗教を分析するための概念であり、フェティッシュの対象である「呪物」や「物神」は超越的な力を持っており、宗教的な共同体の中でその象徴性が共有されおり、マルクスの「物神崇拝」にもその要素が引き継がれています(高級ブランドへの羨望が共有される場合などは、ド・ブロス―マルクスの「フェティシズム」の延長線にある事例ともいえます)ていますが、フロイトの「フェティシズム」は代理/想像上のペニスを求める欲望であり、フェティッシュとなる対象は個々人によって異なります。

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石塚の指摘の中で特に重要なものは、所有物を通じて所有者を間接的に愛する「フェチの論理」であり、フェティッシュは所有者との関係性を繋ぐ呪物であり、沼の指摘する「純粋フェティシズム」では、所有者との関係が、無機物に呪物的な価値を発生させるために不可欠なものであることが彼の著作の中で繰り返し提示されています。

 

沼の議論については後の回で詳しく触れていくので、まずは性と結び付けられた「フェティシズム」の展開について述べていきたいと思います。

 

性科学と「性的フェティシズム」

 

民俗学の分野で提唱された「フェティシズム」という概念はエドワード・タイラーらに引き継がれ、哲学(ヘーゲル、コント)、経済学(マルクス)などの分野でも展開し、宗教や「商品」と関連付けられてきましたが、そこには性に対する言及はなく、主として性科学の文やにおいて性と関連付けられた「フェティシズム」が取り上げられてきました。

 

性と結び付けられた「フェティシズム」の嚆矢は心理学者のアルフレッド・ビネーが1887年の論文La perception extérieureにおいて、下着や靴など、本来は〈性的ではないと思われていた〉無機物に性的魅力を抱く例を「フェティシズム」と呼び、性科学の領域では、「サディズム」と「マゾヒズム」という用語を発明提唱したことで知られるクラフト・エビングが『性的精神病理』(Psychopathia Sexuallies, 1886、国内初翻訳は大正2年/1913年に『変態性欲心理』として刊行)の中で取り上げ、フェティシストシストは、サディストやマゾヒストと並んで精神的な病理あるいは性的倒錯として語られています。

 

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様々な症例が収録された『性的精神病理』は、編者であるエビングの恣意性が強く、精神病理というカテゴリーの中に収められた症例の中には、今では病理というよりもマンネリを解消するためのスパイス的な趣味嗜好として定着しているものもあるかもしれません。それゆえ、エビングの議論が今日において妥当であるとはいえませんが、彼の議論を引き継いだのは、精神分析の開祖であり「エッチな思想家」(鈴木晶『フロイト以後』のまえがきだったと思いますが、鈴木の教えている学生がフロイトを指して「エッチな思想家」と呼んだという記述が印象に残っています)でもある、ジークムント・フロイトです。

 

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フロイトといえば、夢や無意識に関する研究のほか、「死の欲動」、「リビドー」、「去勢不安」、「エディプス・コンプレックス」といった、各種作品を扱った人文学の研究批評では今なお重要な概念を数多く提唱した人物として知られています。彼の生きた19世紀のヨーロッパは、ある意味では「性」と「道徳」の狭間で欲望のあり方が揺れ続けた時代でもあり、フロイトの議論の多くが「性」にまつわる事例に関連しているのは、ある意味では当然といえるでしょう。

 

次回はフロイトの「フェティシズム」論と、それに対する様々な反論を紹介しつつ、今日における「フェティシズム」・「フェチ」について論じていこうと思います。

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鈴木真吾

鈴木真吾

学習院大学大学院身体表象文化学専攻博士後期課程在籍中。文化社会学、ジェンダー論を専門にする傍ら、多方面に研究領域を拡大中。研究と並行して、サークルC-ROCKWORKを率いつつ、同人誌製作(編集・DTP)やイベント出展、写真撮影&展示、各種媒体への寄稿等で活動中。レトロ、猟奇、アングラ、サブカル、キッチュ、フリンジ、B級・Z級などを愛好。
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